日常のちょっとした普遍的な不満を歌に乗せて──ネクライトーキー「オシャレ大作戦」について解説
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ちなみ前回はハヌマーンの「若者のすべて」を紹介しております。宜しければ併せてご確認ください。記事はこちらから。
目次
ネクライトーキー「オシャレ大作戦」ライナーノーツ
はじめに ~奇抜とポップの共鳴~
ネクライトーキーの楽曲「オシャレ大作戦」は、リスナーに強烈なインパクトを与えるポップでエッジィなナンバーです。バンドの魅力が詰まった本楽曲は、耳馴染みの良さと中毒性の高さを併せ持ち、初めて聴いた瞬間からクセになる感覚を与えてくれます。その斬新なアレンジと、遊び心溢れる歌詞、そしてボーカルもっささんのキャラクター性が絶妙に絡み合い、まさに「ネクライトーキーらしさ」が凝縮された作品であると言えるでしょう。
楽曲の構造とサウンドの魅力
疾走感と跳ねるリズム
イントロから飛び出してくるのは、跳ねるようなオーケストラヒットの音と、ドラムの軽快なリズムです。そして、ネクライトーキーの代名詞ともいえるジャキジャキしたギターサウンドは、本楽曲でも健在で、リスナーを否応なく楽曲の世界に引き込んでいきます。
テンポは中高速。にもかかわらず、重苦しさや攻撃性は一切なく、あくまでポップで明るく、フレンドリーな印象を保っています。この絶妙なバランス感覚がネクライトーキーの持ち味でもあります。
遊び心のあるコードメロディ
コード進行は一見シンプルに聴こえますが、ところどころに予想を裏切る展開が挟み込まれており、「素直にポップに終わらない」工夫が随所に見られます。メロディラインも、あえて音を”外した”ような独特のフレーズが多く、クセのある面白さを感じさせてくれます。
ボーカルのもっささんは、意図的に言葉に詰め込んだり、脱力気味に歌ったりと、歌い方の緩急を自在に操っています。まるで喋るように歌い、歌うように喋る──その境界線を曖昧にすることで、楽曲全体に親近感とユーモアをもたらしているのです。
歌詞に込められたメッセージ
「オシャレ」とは誰のため?
面白いポイントとして「オシャレ大作戦」という曲名なのに、”お洒落”について楽曲中ではあまり触れられません。オシャレという単語は下記の歌詞のように1回だけ出現します。
涙が出たって 大人なら
誰にも見せないで終わわせないと
そうやって嘘もつく
ちょっとオシャレでしょ?
反吐が出るなあ
引用元:Uta-Net(こちら)
このように、ファッションやお化粧という意味でのオシャレではなく、涙が出ている事を出ていないと嘘をつき、隠す事を「ちょっとオシャレでしょ?」と言っている訳です。このフレーズに面白さという観点で話すなら「他人の目を気にしながら着飾ることへの違和感」を持ちながら、「それでもなお頑張って前に出ようとする健気さ」の両方をこの歌詞から感じ取ることができます。涙を隠さないといけないという事はすなわち、現代のSNS文化における”見られる自分”と”本当の自分”のズレを、ポップな表現で風刺しているようにも感じられます。
自分らしさと葛藤の狭間で
私が個人的にこの曲で最も印象に残っている部分があります。それがこちらです。
お金もない、努力もしない
二十五を過ぎたら死ぬしかない
形のない恐れだけが「さぁ!」
引用元:Uta-Net(こちら)
こちらの歌詞で人生何も上手くいかないもどかしさなどを表現しているのですが「死ぬしかない」という強烈なワードチョイスが刺さりました。私も若かりし頃、何も上手くいかない瞬間がありました。お金もないし、そのくせ努力も大してしない。そんな自分の過去と重なり合った部分となります。
ネクライトーキーの歌詞にはしばしば、自己肯定感の揺れ動きや、それを乗り越えるエネルギーが描かれます。「オシャレ大作戦」はその象徴ともいえる楽曲であり、多くのリスナーが「分かる……!」と共感を覚える理由はこうした内面描写のリアルさにあるのではないでしょうか。
アートワーク・MVから読み解く世界観
色彩とビジュアルのシンクロ
「オシャレ大作戦」のMVは、バンドメンバーが楽しそうに演奏している様子が終始アップになったり、引きになったりしながら物語のように流れていきます。また、本来のパートではない楽器を持って、ランダムに演奏する姿が面白いですよね。
演じることと、素の自分
MV全体から感じられるのは、「演奏すること」の楽しさと、どことなくその裏で見え隠れする「疲労感」の共存かなとも思います。楽しそうに演奏していますが、歌詞は疲労困憊で喪失感のある若者を描いているように見えるからです。楽曲が伝えようとするテーマと合致しており、視覚的にも聴覚的にも、二重構造のメッセージが届けられていると思います。
まとめ:~だから私は今日もオシャレをする~
「オシャレ大作戦」は、一見するとふざけたポップソングのように思えるかもしれません。しかし、その中には、現代を生きる私たちが直面する「見られることへのプレッシャー」と「それを超えて自己表現することの意義」が、ユーモラスかつ切実に描かれています。
ネクライトーキーというバンドは、決して説教臭くならず、むしろ「楽しさ」の中に真実をそっと忍ばせるスタイルで、聴く人の心に深く訴えかける存在です。この楽曲も例外ではなく、「軽やかさ」と「重たさ」が絶妙なバランスで同居しており、何度も繰り返し聴きたくなる魅力に満ちています。
「どう見られるか」ではなく、「どう在りたいか」──その問いを、あなたもこの曲から感じてみてはいかがでしょうか。

音文学管理人。TSUJIMOTO FAMILY GROUP主宰。トラックメイカーでもありながら、音文学にて文学的に音楽を分析している。年間数万分を音楽鑑賞に費やし、生粋の音楽好きである。また、辻本恭介名義で小説を執筆しており処女作「私が愛した人は秘密に満ちていました。」大反響を呼び、TSUJIMOTO FAMILY GROUPの前身団体とも言えるスタジオ辻本を旗揚げするまでに至っている。




