ライブハウスに想いを馳せる全てのアーティストに捧げる──近石涼「ライブハウスブレイバー」
皆さんこんにちは。音文学管理人の池ちゃんです。今日は雨ですね。恵みの雨となりそうです。夏もいよいよ本番ですね。蒸し暑くてうだるような暑さですが、頑張って過ごしていきましょう。さて、今回取り上げるのはライブハウスで生き抜く全てのアーティストやお客さんに捧げる「ライブハウスブレイバー」という楽曲を取り上げていきたいと思います。ライブハウスは私も良く足を運びます。ライブハウスで聴く音楽はSpotifyやCDで聴く音楽とは全く違う印象を受けます。
今回はそんなライブハウスを舞台に繰り広げられる”ドラマ”について取り上げていきたいと思います。
ちなみに前回はピチカート・ファイヴで「大都会交響楽」を紹介しました。宜しければ併せて読んでみてください。記事はこちらから。
目次
ライブハウスという「戦場」で生きる者たちへ
近石涼「ライブハウスブレイバー」ライナーノーツ
2020年代以降、音楽を取り巻く環境はは劇的に変化してきました。皆さんもきっと使っているであろうSpotifyを筆頭に始まったストリーミングサービスの普及、SNSを中心とした発信手段の多様化、そして新型コロナウイルスという未曾有のパンデミックを経たライブハウスの文化が再構築されてきました。そんな時代の波を真っすぐに受け止めながら、揺るがぬ想いをアコースティック或いはロックに乗せて叫ぶ表現者──それが近石涼さんです。
彼の楽曲「ライブハウスブレイバー」は、まさに”この場所で生きる”覚悟を綴った現代におけるロック・アンセムだと言えるでしょう。本記事では、その詞世界とサウンドを深堀りしながら、なぜこの曲が多くの音楽ファン、特に現場主義のリスナーたちの心を揺さぶるのかを紐解いていければと思います。
「ライブハウスブレイバー」というタイトルに込められた決意
まず目を引くのはこの楽曲のタイトルだと思います。音楽が好きな人間なら聖地とも言える”ライブハウス”と”ブレイバー(Braver)”という二語に結合。その響きには、音楽という戦いの場に立つ勇者の姿が想起されるかと思います。
ブレイバー=勇者、そして表現者
「ブレイバー(Braver)」という言葉は、英語としては少々変則的ではありますが、近石さんの手にかかるとそれが”ライブハウスで勇気を出して闘う者たち”という意味を帯びるように感じられます。生き残るため、伝えるため、音を鳴らし続けるためにステージに立つ者たち。その姿は、まさに現代の”勇者”であると言えると思います。
また、「ライブハウス」という具体的な場所の名を冠したことも注目したいと思います。近石涼さんにとって、音楽活動の原点であり、魂の還る場所であるライブハウス。それは彼にとって”戦場”であり、”日常”であり、”聖域”でもあるのではないでしょうか。
音と言葉が刺さる理由
──リリックとサウンドの交錯点──
「ライブハウスブレイバー」は、そのタイトル通り、極めて”現場的”熱量を宿していると思います。だが、それは単なるライブハウスの賛歌でもなければ、ノスタルジックな自画自賛とも言えません。この曲が鋭くリスナーに突き刺さるのは、近石涼さんの音楽に通底する”誠実さ”と”リアル”が、言葉と音の両面から溢れているからに他ならないのではないでしょうか。
印象的な歌詞について
この曲で私がとても印象的なフレーズがあります。それは以下となります。
だけどあの人にはなれなかった あの人の歌だから
引用元:UtaTen(こちら)
ライブハウスという夢が詰まった空間で、自信をもって歌うが憧れの人にはなれない。そういった気持ちをこの一文で表現できていると思います。ステージと客席が繋がる一瞬の”奇跡”。その瞬間に憧れの人にはなれないが、ライブハウスで歌い続けるというその瞬間に全てを懸ける覚悟と愛情が、この短い一文に凝縮されていると思います。
このような直球の言葉を照れずに歌えるのは、近石涼さんが実際にそう感じ、憧れを超えた本物のオリジナリティに強い気持ちがあるからだと思います。そこにあるのは演出でも演技でもない。生の、むき出しの感情だと言えます。
ロックの荒々しさとエモーショナルなメロディ
サウンドの面でも、「ライブハウスブレイバー」は聴く者の心を揺さぶります。イントロから鳴り響くアコースティックギターのコードはどこかノスタルジックでありながらも、確固たる意志を感じさせるニュアンスになっています。
面白く特に印象的なのは、この楽曲は恐らくいきなりサビになっています。普通の楽曲はイントロがあり、AメロBメロサビといった展開でいきますが、本楽曲はモチーフがイントロにきています。これにより、リスナーをがっちり掴んで離さない構造になっていると思います。
サウンドメイクの方面でも緻密に計算されています。感情をそのまま爆発させたようなドラム、空間を切り裂くようなエレキギター、そして何よりも、半ば叫ぶように歌われるメロディ。その全てが「これは”本気の歌”だ」と圧倒されながら伝わってきます。
「音楽をやる」ということの意味
「ライブハウスブレイバー」は、単なる自己表現の歌ではないのは自明かと思います。それは、音楽と共に生きる者、音楽で人を救おうとする者、音楽に人生を賭けた者たちへの”賛歌”であり”宣言”であり、同時に”問いかけ”でもあります。
歌の中に刻まれた葛藤と希望
この曲には「売れるためには何を捨てる?」というような直接的な表現こそないが、随所に「音楽とは何か」「なぜ歌うのか」といった根源的な問いが見え隠れしていると思います。2020年代、配信が主流になりアルゴリズムが価値を決めるような時代においても、ライブハウスで誰かに音を届ける意味を信じている。そんな近石涼さんの強い信念がこの曲には宿っていると思われます。
聴き手の背中を押す「祈り」のような曲
この曲を聴いたあと、不思議と前を向ける感覚があります。「生きてていい」「まだやれる」「俺たちはここにいる」直接的には表現されていなくても、そんなメッセージが音に伝わってくると思います。
だからこそ「ライブハウスブレイバー」はミュージシャンだけの歌ではないと思われます。ライブに通い続けるファンにも、現場を守るスタッフにも、音楽という無限の夢を見させてくれる世界で生き続ける人に向けたアンセムだと思われます。
終わらない”ステージ”の物語へ
近石涼さんの「ライブハウスブレイバー」は、決して完成された答えを提示する曲ではないと思います。むしろそれぞれの現場で、日々戦っているすべての”ブレイバー”に向けて「君は夢を諦めていないか?」と問いかける曲だと思います。
ライブハウスという空間で生まれる奇跡。それは、誰かの叫びが誰かの救いになるという、小さくも確かな奇跡。近石涼さんの音楽は、その奇跡を信じ続けているのではないでしょうか。
彼の音楽がこれからも多くの人の心を打ち抜き、ステージの光となり続けることを、心から願っています。

音文学管理人。TSUJIMOTO FAMILY GROUP主宰。トラックメイカーでもありながら、音文学にて文学的に音楽を分析している。年間数万分を音楽鑑賞に費やし、生粋の音楽好きである。また、辻本恭介名義で小説を執筆しており処女作「私が愛した人は秘密に満ちていました。」大反響を呼び、TSUJIMOTO FAMILY GROUPの前身団体とも言えるスタジオ辻本を旗揚げするまでに至っている。




