決別と夏の「あなた」にまた出会いたい。切ない出会いの歌──眞名子新で「さいなら」徹底解説
皆さんこんにちは。音文学管理人の池ちゃんです。連日の猛暑で参ってしまいますが、いかがお過ごしでしょうか。音文学を立ち上げて8月で半年が経とうとしております。音文学は今年2月に立ち上がった新感覚WEBメディアですが、お陰様でアクセス数も上々です。沢山の方に音×文学の面白さをお伝えできればと思います。引き続き頑張ってまいりますので、よろしくお願いいたします。
さて、今回は眞名子新さんの「さいなら」を取り上げたいと思います。この曲は先日友達とドライブに行ったのですが、車の中のBGMとして流れてきて、非常に印象に残ったので思わず友達に「この曲何?」と聞いて教えて貰いました。素敵な出会い方をしたので今回皆さんと楽曲の素晴らしさを紐解いていければと思います。
ちなみに前回はパスピエの「最終電車」を徹底解説しています。良ければ併せてご覧ください。記事はこちらから。
目次
眞名子新さんで「さいなら」──時と止まり際に佇むような別れの歌
眞名子新さんによる「さいなら」は、たった一言で心を引き裂くような別れや後ろ髪を引かれる感情の瞬間を描いた、切実でありながら静謐な一曲です。優しくも少しざらついた歌声、慎重に選ばれた言葉、そして内省的で広がりのあるサウンドが一体となって、「もう戻れない」といった確かな実感を私たちに伝えてくれます。
このライナーノーツでは「さいなら」に込められた感情と構造を丁寧に紐解きながら、その音楽的・詩的な魅力に迫っていきます。
「さいなら」で感じとれる──極限まで抑制された美しさ
静けさの中にある「喪失」の輪郭
「さいなら」は、そのサウンド面においても非常に繊細なアプローチがされています。まず印象的なのは、冒頭から静けさが支配しているという点です。アコースティックギターの静寂なコードの刻みからスタートします。その後アコースティックギターのシンプルなコードが穏やかに鳴り、そこに眞名子新さんのかすれるような歌声がそっと重なります。音数は極めて少なく、空白の部分が多く設けられているのが特徴です。
この”空白”こそが、本楽曲において非常に重要な役割を担っています。別れの瞬間というのは、涙を流したり叫んだりするよりもむしろ、言葉が出てこないような沈黙の中にこそ、深い感情が宿ります。「さいなら」は、まさにその瞬間を音楽で描き出しています。
ちなみですが、本楽曲はCM「氷結®夏祭りの準備篇」でタイアップされています。併せてこちらもご覧ください。
機械的でない、手触りのあるダンスミュージック的アプローチ
ドラムは一貫して4つ打ちで曲のリズム感をしっかり出しています。決して派手に展開することはなく、むしろアナログ的な温かみを持っています。まるで、誰かの記憶がかすかに蘇って来るような、そんな懐かしさと哀しさが同時に押し寄せてくるようなグルーヴを醸し出しています。
その構造はタイトではなく、呼吸のような揺らぎを感じさせ、聴く人の時間感覚そのものをゆっくりと引き込んでいくような印象を与えます。まさに、「静かなるエモーション」を最大限表現したアレンジだと言えるでしょう。
言葉にできない別れを「さいなら」で描く
タイトルが持つ意味と余白
「さいなら」というタイトルには、どこか幼さと優しさ、そして取り返しのつかなさが同居しています。「さようなら」ではなく「さいなら」とすることで、感情が整理しきれないまま、思わず口をついて出たような響きを感じさせます。
ひらがな表記も相まって、どこか”子供”や”過去”との繋がりをほのめかしており、聴き手の個人的な記憶とリンクする余白があると私は考えています。
眞名子新さんが持つ言葉の少なさが生む感情の波
歌詞は極めて少なく、説明的な言葉はほとんど登場しません。しかしその分、1行1行の持つ重みが非常に大きく、行間から溢れ出す感情に圧倒されます。
たとえば以下のような歌詞が特徴です。
どうしてあなたと過ごしているのか分からなくなるから
そんなに嫌ならはいさいならと言ってもいいけれど
引用元:Uta-Net(こちら)
この歌詞は”さいなら”したいのかもしれないし、”さいなら”したくないのかもしれない。この後に続く歌詞からもはっきりとしたニュアンスは感じ取れません。具体的に言わないからこそ、聴く人それぞれが自分の物語を重ねられるようになっています。
歌声が語る「弱さ」と「赦し」
音域の限界で歌う、感情のひだ
眞名子新さんの歌声は、決して「綺麗」という言葉で片付けられるものではないと思います。感情を全面的に出して、歌声のニュアンスとしては掠れたり、ピッチの揺らぎなども感じられます。
カラオケでは音程の揺らぎがマイナスと捉えられていますが、しかしこの揺らぎこそがこの曲において、最大の強味になっているのです。
また、歌詞や歌い方として、表現者として”完璧”を押し出すのではなく”弱さをさらけ出すこと”を恐れないスタンスは、「さいなら」の持つ繊細な感情をよりリアルに聴かせる力となっています。
リスナーはその歌声に、誰も見せたことのないような感情の断片や、赦されたい気持ち、手放すことの痛みを感じ取り、自身の心と深く向き合わされます。
まとめ:眞名子新さんの心の奥に残り続ける「未完の別れ」
「さいなら」は、物語として完結していない歌です。明確な別れの理由も、時系列もあまり描かれていないように思われます。けれども、その不完全さがこの曲を非常に普遍的なものしていると考えられます。
人生の中で私たちは、想いを伝えられないまま別れてしまうことがあります。その痛みや悔いを抱えたままでも、日常は進んでいきます。その現実にそっと寄り添ってくれるのが、この曲だと思います。
眞名子新さんは「別れ」というテーマを明るく歌い上げる事を通じて、”人と人と生きていくことの脆さ”をそっと差し出しながらも、その中に僅かな希望を滲ませます。それはまるで、「言えなかった言葉」さえも、いつかどこかで届く事があるかもしれない──そう信じさせてくれるような、優しい光を感じさせてくれるのです。

音文学管理人。TSUJIMOTO FAMILY GROUP主宰。トラックメイカーでもありながら、音文学にて文学的に音楽を分析している。年間数万分を音楽鑑賞に費やし、生粋の音楽好きである。また、辻本恭介名義で小説を執筆しており処女作「私が愛した人は秘密に満ちていました。」大反響を呼び、TSUJIMOTO FAMILY GROUPの前身団体とも言えるスタジオ辻本を旗揚げするまでに至っている。




